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東京高等裁判所 昭和62年(う)138号 判決 1987年12月15日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年二月に処する。

原審における未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官清澤義雄が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人永山忠彦、同堀川文孝、同安福謙二が連名で提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  所論は要するに、「被告人は、昭和六〇年七月一三日午後六時ころ、東京都板橋区《番地省略》甲野マンション前通路において、帰宅途中のA子(当時九歳)を認めるや、同女が一三歳未満であることを知りながら、同女にわいせつ行為をしようと企て、同女を同マンションA号棟二階に通ずる階段踊り場に連れ込み、同所において、同女に対し、着衣の上から右手で陰部をもてあそんだうえ、更に同女を同マンションB号棟に連行し、同日午後六時三〇分ころまでの間、三階から七階に至る各階段において、同女に対し、着衣の上から陰部を触り、パンティ内側に手を差し入れて手指で陰部をもてあそんだほか、パンティを下げて陰部を舌でなめるなどし、もって、一三歳に満たない婦女に対し、わいせつ行為をなしたものである。」との本件公訴事実につき、原判決は、右のわいせつ行為をした犯人と被告人との間の同一性を基礎づけるA子、Bの各供述及び被告人の捜査段階における自白の信用性には、いずれも疑問があるうえに、公判廷における被告人のアリバイ供述の信用性を一概に否定することもできず、犯罪の証明がないとして、被告人に無罪を言い渡したが、右の各供述及び自白の信用性はいずれも十分であって、被告人のアリバイは成立せず、被告人が本件公訴事実につき有罪であることは明らかであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

二  よって、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果も参酌して検討するに、原判決も認定説示しているように、A子の原審証言その他の関係証拠によれば、A子が昭和六〇年(以下「昭和六〇年」の記載を省略することがある。)七月一三日の午後六時ころから午後六時三〇分ころまでの間、公訴事実記載のマンション(以下「本件マンション」という。)において、公訴事実記載のようにわいせつの被害にあったこと自体は明白であって、本件公訴事実の成否は専ら、A子に対して右のわいせつ行為に及んだ犯人(以下「本件犯人」という。)と被告人との間に、同一性があるか否かにかかっている。

そこで、以下においては、原判決の判断に即して、右の同一性を基礎づけるA子及びBの各供述、並びに被告人の捜査段階における自白の信用性について順次考察し、更に被告人のアリバイの成否等についても考察することとする。

1  A子の供述の信用性について

A子は原審証言において、本件わいせつの被害にあった際の状況、途中で本件マンションの管理人であるBに出会った際の状況のみならず、本件犯人の容ぼう、話し振り、服装及び所持品等についても供述しているところ、同供述は、原判決も認定しているように、極めて詳細かつ具体的であって、その観察眼や記憶力の確かさを如実に物語っており、基本的に十分の信用に値するものと認められる。

ところが、原判決は、これらの供述中、本件マンションの住人である被告人が本件犯人であるとする部分に限っては、同級生であるC子との会話内容から影響を受けた結果であると解し得る余地があり、にわかに信用できないと判断しているので、その当否を検討する。

たしかに、A子の原審証言によると、A子は、本件被害にあった翌々日の七月一五日に、通学先の校内において、本件マンションA号棟一四階に住む同級生のC子に、その被害状況を話したところ、同女から、同女も本件マンションで、外人で日本語がペラペラの男に五階までついて来られたことがあり、その際右外人がエレベーターの五階のボタンを押していたと聞かされた旨供述し、続いて、「五階押してたから、五階にいるんじゃないかと思ったんですか。」との問いに対して、うなずき、「そうすると、A子ちゃんは、あなたにいやなことをした人というのは、お母さん達が騒ぎになる前じゃなくて、もうそのC子さんに話した時に、A棟の五階に住んでたんじゃないかと思ったんですか。」との問いに対して、うなずき、「それは、C子さんの話からそう思ったわけ。」との問いに対して、うなずいていることが認められる。

しかし、A子は同じ原審証言において、本件犯人は初めて見る人物ではなく、以前に本件マンション一階のスーパーマーケット内やA号棟の前辺りで、二、三回見掛けた人物であり、そのことに本件の被害にあった時点で既に気付いていた旨供述しており、当審証言においても、同様の供述をしたうえで、その時点から既に、本件犯人が本件マンションの住人ではないかと思っていたとも供述しているのである。右のような場所で複数回にわたり、A子が本件犯人を見掛けたことがあるということ自体、A子をして、本件犯人があるいは本件マンションの住人ではないかと感得させるに十分なものと認められるうえに、A子の原当審証言、及びA子とC子らとの会話を聞きとがめた担任教師のD子の当審証言を総合すると、その会話なるものも、A子が口火を切ったのを契機に、同級生同士が各自の類似の体験をたわいなく話し合っていたという程度のものであり、A子の原審証言もさきに引用したように、誘導的な問いに対してうなずいただけのものであって、A子が右会話からの影響により、本件犯人が本件マンションの住人であると思い込み、そのゆえに、本件マンションの住人である被告人を本件犯人であると認めるに至ったとの趣旨の原判決の判断は、いささか早計といわざるを得ず、是認することができない。

そして、本件犯人がA子にとっては、右のように既知の人物であったこと、A子がおよそ三〇分間にもわたって、本件犯人と行動を共にし、単なる傍観者としてではなく、自らが被害にあっている当の本人として、本件犯人を注視していたものと認められること、一般的に異人種については、個々の人間の識別が困難であるとはいえ、被告人が純粋の白人とも異なる特徴的な容ぼうの持主であり、しかも関係証拠によると、A子には過去に白人系の外国人と交際した経験もあること、関係証拠によると、A子が板橋警察署における犯人面通しの際に、「犯人の顔は見れば分かる。」と述べたうえで、ちゅうちょすることなく、本件犯人が被告人であると指摘しており、しかもその面通しの行われたのが、A子が本件の被害にあってから、わずか三日後の七月一六日であったことなどに徴すると、A子は、被告人が本件マンションの住人であるため本件犯人であると供述しているのではなく、本件犯人と人相、容ぼうなどが同じであることから被告人が本件犯人であると供述しているものと認められ、本件犯人が被告人と同一人であるとするA子の供述部分の信用性は高いということができる。

加えて、A子は原審証言において、当時本件犯人が、胸に「ポパイ」というような英字の入ったTシャツを着ていた旨供述しているところ、本件マンションに住む中学二年生のE子は、当審証言において、本件犯行があった昭和六〇年夏ごろに、本件マンションの近くで被告人が胸に「ポパイ」という英字の入ったTシャツを着ているのを見掛け、流行遅れのものを着ていると感じて印象的であった旨供述している。

右E子は、当時、A子やその家族とは面識すらなかった者であって、A子が本件被害にあったことや、A子が右のような証言をしていることも知らないまま警察での事情聴取を経て、当審証言をなすに至ったものであるだけに、その供述の信用性は高いというべく、この供述によって、A子の前記供述部分の信用性が補強されているといわねばならない。

2  Bの供述の信用性について

A子及びBの原審各証言を総合すると、七月一三日の午後六時過ぎころ、本件マンションA号棟一、二階間の階段踊り場に、A子と本件犯人とが居た際、本件犯人がそこを通り掛かったBに、「Fさんという人の家を知りませんか。英語を教えに来たんですけど。」などと尋ねたのに対し、Bが「そういう人は居ない。ここは英語をやるところじゃない。無断でそのようなことをすると館内放送をする。」などと答えたことが明らかであるところ、Bは原審証言において、右の話相手が被告人であったことは間違いない旨供述している。

しかるところ、原判決は、(一)右の「館内放送をする。」とのBの発言は、その放送の意義や実態等からみて、本件マンション外部の者を対象としたものであって、Bがそのような発言をしたのは、右踊り場で話を交わした男、すなわち本件犯人を、その時点においては、本件マンションに外部から立ち入って来た者と認識していたふしがあること、(二)Bは七月一六日になって、A子の母親のG子から、A子の本件被害状況等を聞かされ、初めて本件犯行があったことを知ったが、その際BがG子に対し、七月一三日の夕刻に被告人とA子が一緒に居たのを見たことについて話をしていないこと、間もなくBは、本件犯行を板橋警察署平尾派出所の水越康雄巡査に通報したが、その直後にBが被告人方に電話を掛け、居合わせた被告人の祖父のHに対し、被告人が英語を話すかどうかを確認していること、そしてBが、やがて自室を訪れた右水越巡査に対しても、七月一三日の夕刻に被告人とA子が一緒に居たのを見たことについて話をしていないことなどに徴すると、Bは七月一六日の時点においても、右踊り場での話相手が被告人であることにつき十分な確信を持っていなかった疑いがあるのに、Bが前記のような供述をしているのは、右時点以降に種々の情報を得た結果ではないかとも思われること、以上の二点を挙げて、Bの右供述の信用性には疑問がある旨判断している。

よって、検討するに、右(一)の点については、原判決の指摘は、まさにそのとおりであると認められる。しかし、Bの原当審証言を総合して、その供述内容をしさいに観察すると、Bは、七月一三日の夕刻には、午後七時から開始予定の本件マンションの自治会役員会の準備に追われており、前記踊り場でA子と一緒に居た男から、英語教授うんぬんの話を聞いて、とっさにその男が本件マンション外部の人間であると早合点して、前記のような応対をし、この件を格別気にもとめていなかったが、その後七月一六日に、G子から、A子の本件被害の模様や犯人の人相、特徴等を聞くに及んで、直ちに、七月一三日の夕刻にA子と一緒に居た男と英語教授の件で話をしたことを思い出すとともに、その時の話相手が被告人であることに気付くに至ったことが認められるのである。そして、関係証拠によると、Bは、被告人が本件マンションに入居した昭和五九年九月以前に、二回程自宅に子供を訪ねて来たことがあって、その顔を知っていたことが認められるが、Bがいかに本件マンションの管理人であるとはいえ、その多数の住人の顔を、とっさの間に逐一識別し、思い出せる程に熟知していたものとは到底考えられないところであって、G子からの話を契機に、Bが前記英語教授に関する話の相手が被告人であることに気付くに至ったという右の経過があながち不自然であるとは認められない。更に、右(二)のうち、Bが被告人方に電話して、被告人が英語を話すかどうかを確認したとの点については、Bの前記証言によると、右の話相手が英語の教授うんぬんを口にして、その教授を装っていたふしがあるところから、既に本件を前記派出所に通報していた手前もあり、念のため、果たして被告人が英語を話すかどうかを確認しておこうとの考えに出たものであることが明らかであって、この点は、七月一六日の時点において、Bが、その話相手が被告人であることを認識していた証左であるとはいい得ても、逆にBがそのことに確信を持っていなかった証左になるものではない。また右(二)のうち、その余の点については、当審が取り調べたBの司法警察員に対する供述調書によると、七月一六日にBが、場所こそやや異なるものの、本件マンションA号棟前辺りの通路において、A子と一緒に居た被告人と、英語教授の件で話を交わしたことを捜査員に供述していることが明らかであるうえに、被告人の母であるI子の原審証言によると、その後事情を聞きに行った同女に対し、Bが、本件当日の夕刻にA子と被告人とが踊り場に一緒に居たのは絶対に間違いない旨、話していたことも明らかであり、これらの経過、及び七月一六日におけるBとG子や前記水越巡査との対話の主題が、本件わいせつの被害の有無やBがA子や被告人を見掛けたことの有無ではなく、問題になっている人物が本件マンションにいるかどうかであったことなどに徴すると、その際にBがG子や同巡査に、七月一三日の夕刻に被告人とA子が一緒に居たのを見たことについて話をしなかったからといって、このことから直ちに、七月一六日の時点においても、Bがその際の話相手が被告人であることに、十分な確信を持っていなかったものと断ずることはできない。

従って、原判決の前記判断にはにわかに賛同することができず、右の話相手が被告人であることに間違いないとするBの供述は、十分に信用に値するものと認められる。

もっとも、I子の当審証言によると、同女が昭和六一年一二月に、本件マンション内でBに出会った際、Bから同じ本件マンションに住む別人と見間違えられたことが認められるが、同証言によっても、Bはその日のうちにすぐその間違いに気が付き、同女に電話をしてきたというのであるから、その人違いのゆえをもって、Bの右供述の信用性が直ちに減殺されるものとは考えられないし、その他しさいに検討してみても、同供述の信用性に疑念を抱かせるような点は格別見当らない。

そして、この供述もまた、本件犯人が被告人と同一人であるとするA子の前記供述の信用性を裏付けているものといわねばならない。

3  被告人の自白の信用性について

被告人は七月一六日に板橋警察署に緊急逮捕されて以来、本件犯行を否認していたが、七月二六日に司法警察員に対し、次いで七月三一日には検察官に対して、本件犯行を自白し、それぞれその旨の供述調書が作成されている。

そして、関係証拠によると、これらの自白の任意性を認め、その証拠能力を肯定した原判決の判断は正当として是認することができ、当審における被告人質問の結果を参酌して検討してみても、右判断に誤りがあるものとは認められない。

次に、その信用性の点であるが、右各自白調書の内容をみるに、犯行当時における被告人の服装、所持品、及びA子やBとの会話の内容等につき、記載の不十分な点や、右両名の供述と符合しない点があるうえに、いわゆる秘密の暴露に当たる部分がないことなどは、原判決が指摘しているとおりである。

しかし、被告人がそれまでの否認から自白に転じた動機に関する部分は、十分に首肯し得るものであるうえに、犯行の経緯及び状況自体に関する部分は、極めて詳細かつ具体的であって、A子及びBの各供述にもおおむね符合しているのである。

そして、一般的にいって、被疑者が種々の思惑から、必ずしも犯行の全容を余さず供述するものとは限らないことなども考え併せると、被告人の本件自白が原判決の指摘するような不完全なものであるとはいえ、その信用性がそれ程高くないとした原判決の判断には、にわかに賛同することができない。

4  被告人のアリバイの成否について

被告人は公判段階になって、再び本件犯行を否認し、昭和六一年八月一一日の原審第一五回公判期日において、本件当日の七月一三日は、午後五時五五分ころに、外出先から本件マンション《番地省略》の自宅に帰り、午後六時二五分ころまでテレビのプロレス中継を見た後、握り飯を作りこれを持って、歩いて一〇分程かかる乙山病院に入院中の友人のJを見舞い、午後六時四五分ころから午後七時四〇分ころまで同病院で過ごしたうえ、午後七時五〇分ころ帰宅した旨供述するとともに、原判決が摘録しているように、右プロレスのシーンを詳細に供述している。

しかし、関係証拠によると、被告人は捜査段階においては、右のようにテレビのプロレス中継を見ていたとは一切供述していなかったことが明らかであり、このような被告人が、一年以上もたって、特に興味を持って見た訳でもないというそのシーンを、こと細かに供述し得ること自体、甚だ不自然といわざるを得ず、そこには被告人がその後、他から得た情報により学習したのではないかと思われるようなふしもあって、同供述は、これに添うHの原審証言とともに、にわかに措信することができず、その信用性を否定しなかった原判決の判断には疑問なきを得ない。

従って、被告人の右法廷供述やJの原審証言にあるように、被告人が本件当日の午後六時四五分ころから、前記病院に居たのが事実であるとしても、被告人方から同病院までの歩行に要する時間が、被告人も自認しているとおり、約一〇分であることに徴すると、午後六時ころから午後六時三〇分ころまでの犯行時間帯における被告人のアリバイは成立しないことに帰する。

5  他の犯人の存否について

Lは当審証言において、被告人が勾留されていた昭和六〇年九月ころ、当時小学一年生であったK子から、同女が本件マンション内で、赤っぽい髪の男にわいせつ的な行為をされたと聞いた旨供述しているが、他方、右K子の祖母であるL子は当審証言において、K子あるいはその母親から、右の男は日本人風であったと聞いた旨供述しており、いずれにしても、その男の人物像が明確でなく、またK子のいうその男の行為の実態が、果たしてわいせつ的な行為であったか否かも、必ずしも明確ではないことなどに徴すると、右の男が本件の犯人であったと断ずることはできない。また、他に本件の犯人ではないかと疑われるような人物は見当たらない。

三  以上の検討結果によれば、本件公訴事実については、A子、Bの各供述、及び被告人の捜査段階における自白その他の関係証拠によって、犯罪の証明は十分というべきであるから、その証明がないとして被告人に無罪を言い渡した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるといわねばならない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において更に判決する。

(罪となるべき事実)

前記公訴事実のとおりである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一七六条後段に該当するので、その所定刑期の範囲内で本件犯行の態様、被告人の前歴その他諸般の事情を考慮して、被告人を懲役一年二月に処し、原審における未決勾留日数の算入につき同法二一条、原審及び当審における訴訟費用の負担につき刑訴法一八一条一項本文をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂本武志 裁判官 田村承三 本郷元)

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